还是幕末

来源:互联网 发布:linux 解压命令gz 编辑:程序博客网 时间:2024/04/29 06:16

  突然想到前段时间看的《修罗之刻》和《新撰组异闻录》……发现自己一直很喜欢幕末时代,和看《浪客剑心》时一样。我果然一尘不变哪。

  边看动画边觉悟到自己正淡淡地喜欢着血腥杀戮的场面,加入冷酷、漠然的感觉,仿佛在欣赏夜空中漫天飞舞的樱花。(另一个声音说:怎么已经变态到这种地步了)

  岔开一句,今天在高速公路上看见一车肉猪,不经意地说了句“好想吃”。连最欣赏我的人都说我好可怕……

  上面两本动画给人最大的感触是新撰组副长土方岁三的人格魅力,他的个性既好强又十分张扬,很有高人一等的气势,总能让别人服从他的气焰。这匹横空出世的壬生狼,做起事来完全不顾外界人们的反应,有着满当当的自信和雄心,真是桀骜不驯。他起草的《局中法度》中规定:新撰组成员一旦拔刀,敌人或是自己,有一方必须死。也就是说,如果在非战斗中(即私斗)未杀死对方而自己受伤的,一律切腹。这种“武士道”精神,在幕末武士阶级没落的情况下,似乎也不多见了。然而土方岁三为了鼓舞士气,杀一儆百,把这些十分苛刻、残忍的规定十分严格地执行,着给世人留下了“为达目的不择手段”的印象。加上土方在执行切腹和对待敌人时毫不手软,于是便有了“魔鬼副长”的称谓。在日本人心目中,有两个土方岁三:一个是为了达到理想,不惜让自己双手沾满污秽的秘密警察头子;另一个则是勇气可嘉的勇士。

  反正,我们只能感叹乱世出英雄。尽管动画中经了一番美化,但毕竟真人也算完美了。难得,我喜欢的角色中也有了一个真实人物。(市村你太过分了,居然敢代替我做土方大人的小姓!)

       谁都知道偷看阿岁的诗集会被他追杀的,幸好我是偶然看见,顺便表扬一下他的文采。那是在上京前写的,纵观诗句,却不觉得那时的土方是个很残忍的人。“面面相觑,心如清水镜”,“梅之花,一片绽出亦为梅”,“进亦为迷,退亦为迷”……在加入新撰组后,这样一个有诗意的人却变成了所谓的魔鬼。

  《豊玉発句集》

・差し向かう心は清き水鏡

・露のふる先にのほるや稲の花
・おもしろき夜着の列や今朝の雪
・菜の花のすたれに登る朝日かな
・しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道  (小説だと「線で消してある」と書いてあるようだが実際は「丸で囲んで」いる。)
・しれば迷いしらねば迷ふ法の道

・裏表なきは君子の扇かな
・水音に添えてききけり川千鳥
・手のひらを硯にやせん春の山
・白牡丹月夜月夜に染めてほし
・願うことあるかも知らす火取虫

・朝茶呑てそちこちすれば霞けり
・春の夜はむつかしからぬ噺かな
・三日月の水の底照る春の雨
・水の北山の南や春の月
・横に行き足跡はなし朝の雪

・人の世のものとは見へぬ桜の花
・我年も花に咲れて尚古し
・年々に折られて梅のすかた哉
・朧ともいはて春立つ年の内
・春の草五色までは覚えけり

・来た人にもらひあくひや春の雨
・咲ふりに寒けは見へず梅の花
・朝雪の盛りを知らす伝馬町
・岡に居て呑むのも今日の花見哉
・梅の花一輪咲てもうめはうめ

・山門を見こして見ゆる春の月
・大切な雪は解けけり松の庭
・二三輪はつ花たけはとりはやす
・玉川に鮎つり来るやひかんかな
・春雨や客を返して客に行

・暖かなかき根のそはやいかとほり
・今日もきょうたこのうなりや夕けせん
・うくひすやはたきの音もつひやめる
・武蔵野やつよふ出て来る花見酒
・梅の花咲るしたけにさいてちる

・(井伊公)ふりなからきゆる雪あり上巳こそ
・年礼に出て行空やとんひたこ
・春ははるきのふの雪も今日は解
・公用に出て行みちや春の月
・あはら屋に寝て居てさむし春の月

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「中仙道八景/木曽掛橋」土方義豊(歳三)

「掛橋朝霞」
たちわたる あしたのくもも色淡きかすみにこむる木曽のかけはし

「小野瀑布」
志(し)ろたえに み類(る)ひとすじは手都(てづ)くりのそれとまがふ をのの瀧つせ

「模川秋月」
あかずみむ よかはの那(な)みに す無(む)月の%nか気(け)もちりなむ阿気の屋万美津(やまみず)

「寝覚夜雨」
閑利末く羅(かりまくら) 弥(や)さめのとこの山嵐もあめになりゆく 夜半のさみしさ

「風越晴嵐」
明(あけ)わた流(る) ひかりもみえ亭(て)風越の高根はれ遊(ゆ)く よるのうき久毛(くも)

「御嶽暮雪」
嵐布(ふ)く ゆふべの雲の絶(たえ)まよりみた気(け)の雪そ 空にさむけき

「駒嶽夕照」
こまのたけ はるる夕日にみる雪の飛(ひ)かりもさむく 満(ま)かふしらくも

「徳音晩鐘」
山てらは そとともわかずほどお機(き)ふもとにひびく い梨(り)あいのかね