日本古国名

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 国名読み別名現在の地域国府備考五畿内山城国やましろ 京都府南部相楽郡山城町上狛附近→京都市右京区附近『古事記』には「山代」と書かれ、「しろ」は「実」という意味。奈良時代になって、奈良の都の背後という意味の「山背」と書かれた。平安遷都後、「山河襟帯自から城をなす」という意味の「山城」と称された。摂津国せっつ摂州大阪府北西部

兵庫県南東部

天王寺区国分町→中央区石町(805年)→難波鴻臚館(844年)→住吉郡(10世紀)→渡辺津7世紀に津国(つのくに)として設置。和銅六年(713)に摂津国と改称され、「つのくに」と呼んだが、後に「せっつのくに」と変化。河内国かわち 大阪府南東部藤井寺市七世紀に津(摂津)国が分離し、大化改新(645)で河内国となる。さらに元正天皇の時代に和泉国が分国。和泉国いずみ泉州大阪府南西部和泉市府中町霊亀二年(716)に、河内国から分国大和国やまと 奈良県数ヶ所推定されているが不明「やまと」は奈良県天理市付近の地域の名で、この地域から興った豪族が現天皇家の祖。東山道近江国おうみ淡海、近淡海滋賀県大津市三大寺琵琶湖の呼称より国名となった。美濃国みの濃州 岐阜県垂井町府中古くは三野、御野とも書いた。飛騨国ひだ 岐阜県北部不明古くは斐太、斐陀と書いた信濃国しなの  上田市→筑摩郡古くは科野と書いた。上野国こうずけ上州群馬県前橋市附近古代の毛野国 (けぬのくに) の分割によって、上毛野国 (かみつけぬのくに) として成立下野国しもつけ野州栃木県栃木市田村町古代の毛野国 (けぬのくに) の分割によって、下毛野国 (しもつけぬのくに) として成立。出羽国でわ(いでは)羽州秋田県

山形県

庄内平野にあったと考えられているが、所在は不明。天平5 (733) 年に秋田高清水岡 (現在の秋田城跡) に移った。和銅元年 (708年) 、越後国に出羽郡が設置され、和銅5 (712) 年に出羽国に昇格。明治元 (1868) 年に、現在の山形県にほぼ相当する羽前国と、秋田県にほぼ相当する羽後国に分割。陸奥国むつ奥州青森県、岩手県、宮城県、福島県郡山遺跡(名取市)→724年に現在の多賀城市に移る道奥(みちのおく)といい、平安時代まで陸奥(みちのく)と呼ばれた東海道伊賀国いが 三重県中西部上野市坂之下国町天武天皇9(680) 年 に、伊勢国から分かれて成立。志摩国しま 三重県志摩半島志摩郡阿児町国府伊勢国から分かれて成立。後に南端は紀伊国、その他の沿岸は伊勢国に編入され、志摩国には志摩半島だけが残された伊勢国いせ勢州三重県北部、中部鈴鹿市広瀬町長者屋敷7世紀の孝徳天皇の時代に、後の志摩国、伊賀国の範囲を含んだ一国として成立した尾張国おわり尾州愛知県西部地名を手がかりに2ヵ所が候補にあがっているが、不明木曽川は今より北を流れており、尾張国は現在の愛知県よりは北に広かった。三河国みかわ三(参)州愛知県東部豊川市白鳥町と豊川市国府町の2つの説がある7世紀に、穂国造と三河国造の領域を合わせて成立遠江国とおとうみ 静岡県西部初期の国府は、御殿・二之宮遺跡→中世には、見付。どちらも現磐田市内古くは遠淡海(とおつおうみ)と書き、浜名湖の古称。これに対し、近淡海(ちかつおうみ)は琵琶湖の古称で、近江国の語源。駿河国するが駿州静岡県中部静岡市内はじめ珠流河と書いた。7世紀に駿河国を建てた。

駿府(すんぷ) 駿河国安倍郡駿府(静岡市)。国府(こう)・府中・府内・駿河府などとも云う

伊豆国いず豆州静岡県伊豆半島鈴鹿市広瀬町長者屋敷駿河国から二郡を割いて設けられた甲斐国かい甲州山梨県現在の春日居町の「国府」地区か、国分寺があった一宮町の国分付近甲府(こうふ) 甲斐国府中の意。甲斐国山梨郡府中(甲府市)。永正十六年(1519)、甲斐国統一をめざす武田信虎が躑躅ケ館に移転したのち、その子信玄の時代に城下町として形成された相模国さがみ相州神奈川県中部、西部初期は平塚市。中世には大磯町と推定される。ほかに、国分寺があった海老名市付近や小田原市にある千代廃寺を初期の国分寺とみなしその付近とする説もある相武 (さがむ) 国造の領域と師長 (しなが) 国造の領域を合した武蔵国むさし武州埼玉県、東京都、神奈川県東部東京都府中市現在の関東地方以東を指す我姫国 (あづまのくに) を孝徳天皇のときに分割して武蔵などの八か国が生まれた。はじめ東山道に属したが、宝亀2 (771) 年に東海道に移された安房国あわ房州千葉県南部安房郡三芳村の府中養老2 (718) 年上総国の四郡を分けて建てられた上総国かずさ(かみつふさ) 千葉県中部市原市

中世の国府は能満 (府中) 

7世紀に総国 (ふさのくに) の分割によって建てられた。当時、都から来る道は、相模国から陸路を通らず浦賀水道を経て房総半島に渡り、半島を南から北へ抜けていたため、行程において都に近い南部が上総国、都から遠い北部が下総国と名づけられた下総国しもうさ(しもつふさ) 千葉県北部、茨城県西部千葉県市川市の国府台7世紀に総国 (ふさのくに) の分割によって建てられた。下総は、古くは「しもつふさ」と呼んだ。総(總)は木(楠)の枝をいう。常陸国ひたち常州茨城県中部、東部石岡市孝徳天皇の時代に関東地方以東を指す我姫国 (あづまのくに) を分割してできた八国の一つとして成立北陸道若狭国わかさ若州福井県南部小浜市附近と推定 越前国えちぜん 福井県北部武生市と推定古くは越(古志・高志)国(こしのくに)と呼び、木ノ芽山嶺から新潟県辺りまでを含む広い範囲をいった。「越」の語源には、木ノ芽(木目)峠を越す事から名付けられたともいわれる。7世紀末に越前国 ・越中国・越後国の三つに分割。その後養老二年(718)に越前国から能登国、加賀国が分割能登国のと能州石川県能登半島を含む北部 弘仁14 (823) 年に、越前国の江沼郡と加賀郡を割いて設置加賀国かが加州石川県南部七尾市の古府にあったと推定養老2 (718) 年に越前国から四郡を分立して成立越中国えっちゅう 富山県高岡市伏木古府7世紀末の越国 (こしのくに) の分割によって成立越後国えちご 佐渡を除く新潟県上越市の「国府」地区7世紀末、越国 (こしのくに)の分割によって成立した佐渡国さど 新潟県佐渡島国仲平野の南辺と推測国が建てられた時期は不明だが、文武天皇4年 (700年) に記録がある山陰道丹波国たんば丹南京都府中部、兵庫県中東部亀岡市千代川遺跡と推測はじめ「たには」と呼び、古くは旦波とも書いた。和銅6 (713) 年に北部を丹後国として分離。丹後、但馬を加えて「三旦(さんたん)地方」と云った丹後国たんご北丹京都府北部平安時代は現在の舞鶴市にあった。中世には宮津市府中にあった。和銅6年 (713年)に、丹波国の北部を割いて、丹後国を置いた。但馬国たじま但州兵庫県北部出石郡出石町と、城崎郡日高町の説とがある7世紀に成立因幡国いなば 鳥取県東部国府町中郷古くは稲葉と書き、稲葉国造の領域であった。7世紀に因幡国が成立した伯耆国ほうき 鳥取県西部倉吉市国府伯耆国造がいた領域で、7世紀に伯耆国を設置出雲国いずも 島根県東部松江市大草町出雲国造の領域を元に、7世紀に設置石見国いわみ 島根県西部浜田市7世紀に設置隠岐国おき 島根県隠岐島隠岐郡西郷町と推定7世紀に設置山陽道播磨国はりま 兵庫県南西部姫路市本町7世紀に設置美作国みまさか 岡山県北部津山市総社和銅六年(713)に、備前国から郡の六郡を分けて設けられた備前国びぜん 岡山県南東部岡山市と推定吉備国が7世紀後半に備前国、備中国、備後国に分割されて成立備中国びっちゅう 岡山県西部総社市「きびのみちのなかつくに」と読む備後国びんご 広島県東部広島県府中市府川「きびのみちのしりのくに」と読む安芸国あき 広島県西部府中町安芸は古くは阿岐と書いた。7世紀に阿岐国造の領域に安芸国が設置周防国すおう 山口県東部防府市土井八町7世紀に周芳国として設けられ、7世紀末に周防国に改称長門国ながと 山口県北西部下関市長府宮の近辺古くは穴門(あなと)と呼ばれ、穴戸と書くこともあった。穴門国造の領域と、阿武国造の領域をあわせて、7世紀に穴戸国が設置された。7世紀後半に長門国と改称南海道紀伊国きい 和歌山県、三重県南部和歌山市府中七世紀に木ノ国(きのくに)と熊野国が合併して成立淡路国あわじ 兵庫県淡路島三原町国衙古くは淡道と書いた。粟国(あわのくに。後の阿波国)に渡る途中にあることを意味阿波国あわ 徳島県徳島市国府町7世紀に成立。阿波は古くは粟と書いたが、和銅6 (712) 年に地名を二字で表記するため阿波に変更讃岐国さぬき 香川県坂出市7世紀に成立した。江戸時代に小豆島と直島諸島が備前国から譲られた伊予国いよ 愛媛県今治市7世紀に成立した土佐国とさ 高知県南国市比江7世紀に都佐(とさ)国造と波多国造の領域をあわせて建てられた西海道豊前国ぶぜん 福岡県東部、大分県北部福岡県京都郡豊津町豊国(とよのくに)を分割して、豊後国とともに設けられた。豊前は、平安時代まで「とよくにのみちのくち」と読んだ豊後国ぶんご 大分県中南部大分市古国府七世紀末に、豊国(とよのくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで「とよくにのみちのしり」と読んだ筑前国ちくぜん 福岡県北西部太宰府市筑紫国(つくしのくに)の分割によって7世紀末までに成立筑後国ちくご 福岡県南部久留米市内を転々とした。筑紫国(つくしのくに)の分割によって、筑前国とともに7世紀末までに成立肥前国ひぜん 佐賀県、長崎県大和町惣座火国(ひのくに)、後の肥国(ひのくに)の分割によって7世紀末までに成立肥後国ひご 熊本県はじめ詫麻郡にあり、益城郡に移った。遺跡が発掘されたのは詫麻郡のみで、9世紀に洪水を受けて廃絶 日向国ひゅうが 宮崎県西都市の寺崎遺跡古くは「ひむか」と読んだ。日向国は、7世紀に設けられた。大隈国おおすみ 鹿児島県東部、島嶼部国分市和銅6 (713) 年、日向国の四郡を分けて設けられた薩摩国さつま 鹿児島県西部川内市の大園、石走島の近辺大宝2 (702)年 に、日向国から唱更国が設けられた。唱更国は、数年後に薩麻国に改められ、8世紀半ばに薩摩国に改称壱岐国いき 長崎県壱岐島石田郡にあった。具体的な場所については諸説あり古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、「いき」または「 ゆき」と読んだ対馬国つしま 長崎県対馬対馬市厳原町古くは津島とも書いた、7世紀に対馬国が設けられた北海道ほっかいどう 北海道 蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、蝦夷(えみし)と呼ばれたアイヌ人等が住んでいた。江戸時代に松前藩が置かれ、この地を支配

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