日经春秋 20150531

「大江戸や犬もありつく初鰹」。小林一茶がこんな句を残しているくらいだから、この季節の、この魚に対する江戸っ子の偏愛ぶりはやはり相当なものだったようだ。ほとんどは刺し身にして辛子で食べたらしく、日本人の生食志向はこのあたりから深まったのだろう。

▼ずっと時代が下って、牛刺しやユッケ、レバ刺しといった牛肉の生食が人気となったのもそういうＤＮＡゆえだったかもしれない。ところが４年前の食中毒事件を機に、厚生労働省は禁止令を発した。生ガキなどに比べたら統計的に突出して危険というわけではないが、こういうときの日本人は論理よりも空気に流される。

▼厚労省はこんど、豚肉の生食も禁止にするそうだ。人も知るとおり、豚肉のナマの危険度は牛肉の比ではない。どんな生食好きでもそうそう手を出さなかった代物である。それが世に広まったのは、牛レバ刺しなどの代わりに出す店が増えたからだ。ひとつの規制が別の危険を招き、それが新たな規制を呼びこむ図である。

▼豚肉のナマなど代替品として提供するほうがどうかしている……のはたしかだが、あのレバ刺し禁止令なかりせばこんな事態には至らなかったのもまた事実だろう。役所としては目をつむってもいられないにせよ、さてこのデンでいくと次は鶏か馬か生卵か。カツオの刺し身にだってそのうちに禁令が及ばぬとも限るまい。