日经春秋 20151026

来源:互联网 发布:ubuntu 14.04u盘镜像 编辑:程序博客网 时间:2024/05/29 17:28

1911年、砂漠と高原が広がる中央アジアで、日本人青年が音信を絶つ。仏教遺跡や経典を求めて西本願寺が派遣した大谷探検隊の僧侶・橘瑞超(ずいちょう)だった。発掘品を携え、敦煌に向かっていた。寺は外務省に捜索を依頼し、人も送るなど手を尽くすが、行方がつかめない。

▼この地域は当時、地図上の空白地帯だった。欧州各国が先を争ってへディンなど著名な探検家を派遣し、発見や発掘に成功していた。遅れて参入した日本には拠点もなかった。捜索も英国や日露戦争後で関係が冷えていた帝政ロシアに頼むしかなかった。盗難や暴行に遭いながらも、結局、瑞超は自力で敦煌にたどり着く。

▼「西域 探検の世紀」(金子民雄著)を読むと、激しい発掘競争の背景に大国の領土争奪戦があったと分かる。植民地インドを持つ英国と南への拡張を狙うロシアが静かな「グレート・ゲーム(大勝負)」を繰り広げていた。探検家やスパイが入り乱れて、懸命に情報収集していた。渦中に日本隊は飛び込んだのだという。

▼100年後も熾烈(しれつ)なゲームが進行中だ。狙いは石油など豊富な資源にある。英国に代わり中国が登場。「シルクロード構想(一帯一路)」なる経済圏をつくり始めた。ソ連崩壊で影響力が薄れていたロシアも食指を動かす。大谷隊はラクダに乗って経典をもたらした。さて、この地域を歴訪中の安倍首相は何を持ち帰るか。

0 0