日经春秋 20151114

来源:互联网 发布:微信服务号域名 编辑:程序博客网 时间:2024/04/29 06:38

いかめしいのに、どこかひょうきんな風神雷神や、野分や雨でたおやかに曲がった草花、そして、墨痕が鮮やかな書。京都市内で開催中の展覧会「琳派 京(みやこ)を彩る」に足を運ぶと日本美術の一大潮流に浸ることができる。装飾的で、デザイン性の高い作品に個性が光る。

▼琳派の創始者は京の上層町衆で芸術家、本阿弥光悦。彼が徳川家康から工房の用地を洛北に拝領し、今年で400年という。大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした一強の家康が、王城の地を治めるため、隠然たる力を持つ光悦と手を組んだとの見方がある。そうした思惑がなければ、連綿と続く華麗な文化も日の目はみていまい。

▼工房だった一角に今、光悦寺が立ち、本人の墓がある。隣は幕府の代官「京都所司代」を長年務めた板倉勝重・重宗親子の供養碑。アーティストと高官の意外な組み合わせだが、板倉親子は清廉な人柄で町衆から好かれ、茶の湯への造詣も深く、屋敷は芸術家のサロンだった。統治策として文化的な環境作りに励んだのだ。

▼板倉親子の治政は初期の琳派に奥行きや伸び代を与えたともいえる。当時の諸学芸の隆盛は年号から「寛永ルネサンス」とも称されるほどだ。その後、元禄期や文化・文政期を経て、琳派の水脈は近代まで続いた。傑作の数々を前にすると、作者の情念とともに、流派の土台を作った光悦や板倉親子の息吹も伝わってくる。

0 0
原创粉丝点击