天声人語 20160226 文科相の「たられば」

来源:互联网 发布:python用来做什么 编辑:程序博客网 时间:2024/05/18 03:20
「たらればの話」という言い方がある。現実とは違うことを仮定しながらの話、というほどの意味か。「かいのない議論」と手厳しい辞書もある。俗語である。馳文科相は23日の記者会見で、たらればの話だがと断って発言した▼「私が学長であったとしたら」。そんな前置きを何回か繰り返しながら語ったのは、国立大学の卒業ログイン前の続き式や入学式での日の丸、君が代の問題だ。「国旗掲揚、国歌斉唱を厳粛のうちに取り扱うと思っている」▼岐阜大の学長が今春の式で国歌斉唱をしない方針を示したことへの批判である。国立大は税金で支えられているのだから、式典ではすべての納税者に感謝し、国旗、国歌を重視すべきだ、という論理らしい。それをしないのは「恥ずかしい」と▼たらればの話として語るのは、大学の自治への介入という批判をかわす意図なのだろう。憲法は学問の自由を保障し、教育基本法は大学の自主性と自律性をうたう。小中高校には学習指導要領があるが、大学にはない。斉唱を指示する根拠がないことは馳氏も承知だ▼だが、大学運営に不可欠な国の交付金に「感謝」を促し、式次第に「適切な」判断を求めると言えば、圧力と受け取られても仕方がない。鎧(よろい)を隠す衣になっていない▼たかが式典、ではない。国歌斉唱の際の起立命令が思想・良心の自由を間接的ながら制約することは、最高裁も認めている。あの時もっと気をつけていたら……。そんな後悔をしないためにも、今、目を光らせる必要がある。
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