天声人語 20150719

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日本の戦後は焼け跡から始まり、戦後の物理学もそこから始まった。ノーベル賞に名を刻む物理学者、南部陽一郎さんの論集『素粒子論の発展』に当方の頭でも分かるくだりがある。戦後すぐに陸軍から戻って東大の助手に就くと、3年間研究室に寝泊まりしたそうだ▼洋服がないのでいつも軍服。寝るときは机にござを敷いた。ある教授は一家で研究室に住み込んでいたという。週末は農家を歩き回り、もらえる食べ物はなんでももらった。そんな中で研究に没頭した▼紙と鉛筆と、あとは頭脳だけ。理論物理学は俊才の集まる分野だが、南部さんは飛び抜けていた。ノーベル賞をもたらした理論は、半世紀余り前の発表時はなかなか理解されなかったという。先進的すぎたためだ▼7年前の受賞のときは「遅すぎた」の声がしきりだった。同時受賞の益川敏英さんが「ずっと仰ぎ見てきた南部先生と一緒に受賞できるのは最大の喜び」と涙を流す姿に、偉大さを知った人は多かったのではないか。当方もそうだった▼励まされるような話もある。米国の名門研究所に在籍中、激しい競争の中で研究が一向にうまくいかない日々が続いた。啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ……」の心境になったと冒頭の論集につづっている▼南部さんの94歳での訃報(ふほう)がきのうの新聞に載った。穏やかな人柄を誰もが惜しんだ。姿は去っても、その生涯と功績は一本の松明(たいまつ)となって、学究の人々を導き続けることだろう。明るさは並ではない。
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