日经春秋 20150807

来源:互联网 发布:tensorflow 好玩 编辑:程序博客网 时间:2024/05/23 15:54

1849年、フランスの外交官だったフェルディナン・ド・レセップスは40代なかばで公職を退いた。やがて夫人や息子の一人に先立たれ、ずいぶん落ち込んだ時期もあったらしい。が、彼がその名前を歴史に刻みつける仕事をなし遂げたのは、むしろそれからだった。

▼地中海と紅海を結ぶスエズ運河の建設に乗り出したのは、54年。この時代の民間事業としてはかなり大がかりだったうえ、現場の環境が過酷だった。オスマン帝国や英国の政治的な思惑などもからんでプロジェクトは難航した。強烈な意志で障害を乗り切って開通にこぎ着けたとき、レセップスは60代なかばになっていた。

▼驚くべきは、70代もなかばになって今度はパナマ運河に手をつけたことだろう。あれやこれやで結局は挫折し後に米国が完成させることになるのだが、そのエネルギーには目を見張る。私生活では、スエズ運河が開通した1週間ほどあとに40歳以上わかい女性と再婚して、25年後に亡くなるまでに12人の子どもをもうけた。

▼エジプト政府によるスエズ運河の拡張工事が完了し、きのう記念式典があった。2007年からのパナマ運河拡張も早ければ年内完工の見込みとか。レセップスの時代とは技術も人々の受け止め方も変わってきているけれど、19世紀を生きたエネルギッシュな男の思いは21世紀の今もなお息づいている。そんな感慨を抱く。

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