天声人語 20151216 深代惇郎没後40年

来源:互联网 发布:有没有网络教育平台 编辑:程序博客网 时间:2024/06/06 05:33
新聞の1面コラムは各社の記者が筆をふるう。ときおり人から「どの新聞の筆者がライバルとして手ごわいですか」と質問を受ける。「どなたも腕利きですから、非才を思い知らされます」と答えるのは、何も謙遜してではない▼答えつつ、別の思いも浮かぶ。先の朝日歌壇にこの一首があった。〈新聞はサザエさんのみにあらずとログイン前の続きぞ惇郎(じゅんろう)を読み秋の深まる〉。斉藤千秋さんという方の歌だ。1970年代に天声人語を担当した深代(ふかしろ)惇郎は、根強いファンが今も多い▼2年9カ月の短い執筆だったが、読者に深い印象を残した。その筆づかいを懐かしむ便りを、年に何通も本欄あてに頂戴(ちょうだい)する。比べて今の筆者を論ずる方もいる。たいてい辛(から)い。他紙の書き手にも増して手ごわい相手は、いわば身内にいる▼舌を巻くのは、泳ぐ鮎(あゆ)を見るようなコラムの生きの良さだ。教養と問題意識を深く湛(たた)え、そこへ英国仕込みのユーモアが溶け込む。評して「そりゃあ、香りが違う」と言った人がいたのはうなずける▼天声人語は伝統的に、改行がわりに原則五つの「▼」を置いて話をつなぐ。本人は「五つの飛び石でものを考えるくせがつきました。そのために私の考え方が固定化することがあってはならない」と語っていた。胸に畳むべき戒めだと思う▼紙価を高める中で白血病に倒れ、「いつかもう一度、法隆寺を訪ねてみたい」と結んだコラムが絶筆になった。あす17日は深代没後40年の命日になる。本欄の先輩をしのぶ一文を許されたい。
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