天声人語 20150321

来源:互联网 发布:国家网络信息发布管理 编辑:程序博客网 时间:2024/04/29 21:24
客が来て、帰りかけようとすると「まあお茶漬けでも」。しかしご馳走(ちそう)する気はなく、ときには「早く帰って」の意味すら含む。そんな京都人の気質を揶揄(やゆ)する落語「京の茶漬」を、桂米朝さんが京都で口演したことがあった▼演芸評論家の矢野誠一さんが回想している。「洒落(しゃれ)にならへんで」と真剣に心配する知人らを尻目に、高座に上がると「京の茶漬という言葉ですなぁ、これはどうも京都の方がおられると、ちょっと言いにくい」――。終わってみれば大受けだったといい、人柄と芸風が偲(しの)ばれる▼「関西は大阪、京都、神戸とそれぞれに異なる文化の味が残っています。これはええことやないかな」。廃れていた上方落語の旗を掲げ、復活から隆盛へと導いた。西と東が並び立つ今の落語の豊饒(ほうじょう)は、この人抜きに語れない▼永六輔さんや故小沢昭一さんら、粋人たちと集い俳句を楽しんだ。号の八十八(やそはち)は「米」の字にちなむ。〈うちの子でない子がいてる昼寝覚め〉〈人を得て越後上布の涼しさよ〉。まなざしは優しく端正だ▼米寿を迎える前には「俳号に歳(とし)がようやく追いつきますな。有難い」と述べていた。その俳号を1歳超えて、眠るように旅立ったという▼本紙再連載も大詰めの漱石の「三四郎」に、当時の落語家、三代目柳家小さんを「天才である」と讃(たた)えるくだりがあった。「彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合(しあわ)せである」と。同じ思いを米朝さんに抱(いだ)く。天上に向かって、ありがとうは尽きない
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