天声人語 20151025 神君か腹黒いタヌキか

来源:互联网 发布:矩阵论答案 程云鹏 编辑:程序博客网 时间:2024/06/14 06:39
おおかたの寿命が40年か50年だった時代に徳川家康は75歳まで生きた。亡くなったのは1616年の春で、今年は400回忌にあたる。ゆかりの地で行事が目白押しだ▼会場に現れるだけで喝采を浴びるのが宗家18代ご当主の徳川恒孝(つねなり)さん(75)。都内のご自宅で今年のスケジュール帳を拝見した。日光東照ログイン前の続き宮での四百年式年大祭のほか、法要、講演、植樹、茶会など82件がぎっしり。まさに東奔西走だ▼「覚悟していたより2倍か3倍は忙しい。同じ日を挙げて依頼が二つ来たりします」。海運大手の日本郵船に長く勤めた。13年前、副社長を最後に退社。記念財団を立ち上げ、遺徳を伝える活動を本格化させた▼家康公につきまとう「タヌキおやじ」像をぬぐいたいという思いがある。ご自身も幼いころは家康公を悪者かのように信じ込んだ。「真田十勇士、猿飛佐助といった絵本を真に受けまして、敵将の真田幸村に憧れました」▼神君や権現とあがめられた家康公が、維新以降は強欲な策謀家のように語られだす。明治新政府に徳川悪政論を広めようという思惑でもあったのだろうか。「ともかく徳川は明治政府と違って大きな戦争をしなかった。260年の間平和を保ち、独自の文化を築いた。胸を張りたいと思います」▼訪問先では思わぬ遺恨にも出くわす。「命じられた巨大普請で藩財政が傾いた」「百万石を加増するという証文がここに」。現当主は笑顔で受け流す。「いやいやその節はご無礼を」。さすがと言うべきか。
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