天声人語 20151231 話が通じなかった1年

来源:互联网 发布:詹宁斯cba数据 编辑:程序博客网 时间:2024/05/16 15:52
落語の「粗忽(そこつ)長屋」は奇妙な噺(はなし)だ。十八番(おはこ)にしていた五代目柳家小さんに言わせれば、八五郎は気が短くてそそっかしい。兄弟分の熊五郎は気が長くてそそっかしい。この2人が繰り広げる不条理劇である▼浅草の観音様からの帰り、八五郎は行き倒れに出くわし、「熊の野郎だ」と思い込む。しかログイン前の続きも「当人」を連れてきて身元確認させると言い出す。荒唐無稽だ。「おめえ、昨夜(ゆんべ)死んでるよ」。八にそう言われ、熊も次第にそんな気になる。そして2人で遺体を引き取りに……▼長屋にいるのに路上にもいる。生きているのに死んでいる。明白な矛盾が見えない2人。当然、町内の世話役たちとは話が全く通じない。不気味といえば不気味な世界を、抱腹絶倒の一席に仕立てるのだから、落語という芸術は奥深い▼話が全く通じないといえば、今年1年の日本もそうだった。安保法制をめぐる違憲合憲の論争は交わらなかった。米軍基地の移設問題をめぐる沖縄県と官邸との対立も同様だ。粗忽者がいるのかいないのか、言葉の通い路が失われていた▼落語に戻れば、熊五郎は最後、「自分の」遺体を持ち帰ろうと抱きかかえる。訳がわからなくなってくる。「抱かれてんのは確かに俺だが、抱いてる俺は一体誰だ……」というのが、この噺の下げである▼やっと矛盾に気づく瞬間。藤山直樹著『落語の国の精神分析』によれば、「人間という考える葦(あし)が再び芽ぶく瞬間」だ。年が改まる。葦が芽ぶき、少しは話が通じるようにと願う。
0 0
原创粉丝点击