日经社説 20150803 「失われた20年」教訓に飛躍のとき

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戦後70年とは何だったのか。敗戦のどん底からはい上がり、一気に世界第2の経済大国にのぼりつめた。ジャパン・アズ・ナンバーワンと、もてはやされたものの、はじけたバブルの後遺症から抜け出せないままデフレに陥って20年。しかしようやく転機が訪れようとしているかのように見える。

 戦後をふりかえるとおそらく3つの時期に分けることができる。

停滞続いた原因は何か

 最初は、敗戦から1955年までの占領・復興期である。焼け跡闇市からの脱却だった。朝鮮戦争の特需で経済は回復のきっかけをつかんだ。「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言したのが56年。世界が驚嘆した高度成長に突入していく。

 次は、昭和後期の成長期である。高度成長からバブル経済にいたる時期だ。64年の東京五輪の直後の(昭和)40年不況を乗り切り、71年8月のニクソンショックや73年と79年の石油危機も乗り越えていった。米国との経済摩擦がはげしくなったのは、日本経済の強さのあらわれでもあった。

 最後は、平成に入ってからの停滞期である。バブルの崩壊で地価や株価が急落。失われた10年はいつの間にか20年になり、25年に及ぼうとしている。名目GDP(国内総生産)の最高が97年であることが何よりもそれを物語っている。国際通貨基金(IMF)によれば、2009年には中国に抜かれて世界第2の経済大国の地位をゆずり、14年には名目GDPで中国の半分になってしまった。

 復興・成長の昭和と停滞の平成は、世界の政治経済システムのうつし絵でもあった。

 冷戦構造のもと圧倒的な優位をほこった米国に追随したかたちで軽武装重商主義が許されたのが昭和だった。平成になると、冷戦崩壊から、世界の中の日本として経済力にみあった応分の負担や国際貢献を求められた。自衛隊も海外で活動するようになった。

 とりわけ、ここ10年、中国が台頭し、米国の影響力が相対的に低下して世界経済もG7からG20の時代になった。世界の権力の移行がどんどん進んでいる。その中で日本の低迷がなぜここまで続いたのか。原因を考え、しっかりとした対策をとっていくことが次への飛躍につながるはずだ。

 第1にいえることは、日本経済の足かせとなった不良債権の処理が遅々として進まなかったように、常に一時しのぎで切り抜け、根っこの問題を先送りしてきたことだろう。

 既得権益にメスを入れることができず、岩盤を打ち砕けなかった。その結果が1000兆円をこえる借金を抱えてしまった財政にあらわれている。自民党長期政権でつちかわれた政官業の三角形は決して完全に破壊されていない。構造改革は中途半端なままだ。

 第2は政治のありようである。平成になって生まれた首相は安倍晋三氏までで16人。小泉純一郎首相のあと民主党政権の野田佳彦首相まで6人が1年交代だった。

 とりわけ問題だったのが衆参のねじれ現象だ。はじまりは1989年の参院選である。決まらない政治の原因となった。短命政権で政治のリーダーシップが期待できず、外交力も弱体化させた。

成功体験捨て成長探れ

 第3は、企業がグローバル化で後手に回りデジタル化の波にも乗り遅れたことだ。高度成長期の成功体験から抜け出せず、国内や欧米の市場が中心で、成長する新興国を取りこめなかった。

 多様な人材の活用も進まずイノベーションのチャンスを逃した。その結果、産業構造の転換が遅れ新たな企業も育たなかった。日本企業は輝きを失ってしまった。

 政治家がリーダーシップを発揮し、既得権益を打破して岩盤をくりぬき、企業はグローバル化・デジタル化に対応した体質に自らを鍛え直し、経済を成長させる――。くみ取るべき「失われた20年」の教訓はこうした点に集約できるのではないだろうか。

 安倍政権がアベノミクスをかかげ帆をあげて2年7カ月。政治的な資源を経済に集中していけば、ようやく幸運の女神の前髪に手が届くところまで来つつある。

 要はいかに日本の国の力を増していくかということだ。戦後70年、ここで跳べなければ待ちかまえているのは「失われた戦後日本」という悲惨な結末に違いない。

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